読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

~バガン便り~

バガンに本社がある旅行屋のブログ

ヤンゴンプレス・10月号連載「バガン通信」

当たり前のことかもしれませんが、バガンの遺跡としての価値は戦災にやられなかったことに尽きると思います。1975年の大地震によりバガンのパゴダも甚大な被害を受けますが、戦争、特に空爆や対抗勢力による破壊を受けずにこれまで来たというのはある意味奇跡で、軍事政権がセメント使っておかしなことしたから世界遺産になれなかったとか後世いろんなこと言うのは実はほんのちっぽけなことなんだと思うのです。

 

~東方見聞録「ミエンの国」と「銀のパゴダ」(その1)~

 

f:id:saratravel:20141005100632j:plain

 

マルコポーロの「東方見聞録」にバガンが登場することは意外と知られていません。「雲南への使節行」の中にミエンという地名が出てきます。ミエンの国はベンガル地方も治めていて、その首都がミエンであるといっていますので、同時代に存在した都市としてはバガン以外にありません。また、時代背景や王国の滅亡にいたる詳細な記述からバガンに間違いないと思われます。

 

マルコポーロがバガンに行ってその目で見たのか、それとも伝聞なのかは今となっては分かりません。最近の研究では、次章のベンガルは伝聞であるというのが定説ですが、ミエンについては学説が分かれるところです。

 

ミエンの描写はひとことで言うと、「周囲には何もないがとにかく美しい町である」ということです。

バガン王朝が滅亡して間もない頃の話ですが、国が滅びた後の景色が美しいと言っているのですから、相当美しい町だったのでしょう。

ミエンに入る直前のくだりでも、「まもなく特筆すべきその町に到着する」「ここからがいよいよ本題である」と、著者自身が興奮している様子が伺えます。

 

さて、ミエンの章にはそのタイトルにもなっている2つの塔がメインで登場します。

「この町には黄金の塔と白銀の塔があり、太陽に照らされたそのまばゆいばかりの輝きは、世界の中でもっとも美しい風景のひとつといえ、遠くからでもそれらをはっきりと望むことができる」とあります。

この2つの塔は、かつて偉大な王がその死に際し、己の威厳を示すためと功徳のためにつくらせたのだと書かれています。

 

既に700年以上も前に「バガンは世界でも指折りの美しい場所である」と旅行記に書かれていることは驚嘆に値します。また現在でも朝日と夕日の名所となっていますが、バガンと太陽は当時から切り離せない関係にあったのでしょう。

 

東方見聞録には、「(2つの)塔の間に風が吹くと、尖塔が美しい音色を奏でる」とあり、現在ではインワの寺院に尖塔の風鈴が残っていますが、バガン時代にもあったことがわかります。バガン全体にこの風鈴が鳴り響いた景色はマルコポーロをして「貴族的な町」と言わしめています。

 

フビライハーンは「金銀の2つの塔のあるこの国を征服したい」と願って、実際その通りにしました。

ハーンの家臣は、所望とあれば塔に使われている金と銀を集めて献上すると申し出ますが、ハーンは「ミエン王の魂の安寧と軌跡を残す」ために2つの塔をそのまま残したのだと書かれています。

その美しさから破壊を免れ、時代を超えて人々を魅了する風景、それがバガンなのかもしれません。

にほんブログ村 旅行ブログ ミャンマー旅行へ
にほんブログ村