~バガン便り~

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バガン通信2月号「ビルマ族の起源」

下の写真を見て頂ければ分かると思いますが、ピュー王朝末期のパゴダはバガン時代のものとそっくりです。また、四角い厨子がありますが、バガン王朝初期のパゴダにもいくつか見られ、その後なくなっていきます。バガン初期の文化はピュー族の影響を強く受けていた証拠です。

 

今回は久しぶりに本気です。というか、またマニアック路線ですみません(笑)。

 

ヤンゴンプレス2月号掲載「バガン通信」 

ビルマ族の起源

 

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タイエーキッタヤーにあるピュー族のパゴダ(9世紀建立) 

 

ビルマ族の興りは、一般的に「ミャンマーにはビルマ族以前に先住民族のピュー族が勢力を誇っていたが、中国雲南方面の部族(諸説あり)に滅ぼされた上、ピュー族は雲南へ移住させられたためにかの地は無人となった。その2世紀後南詔の一部族であるビルマ族が突如進出し、500km以上も民族移動したのちバガン王朝を開いた」とされています。

ビルマ史研究家ルースがこの説を唱えたものですが、もしこれが史実でないとしたら他民族をこれだけ侮辱した話もないでしょう。

 

ピュー族は点在する3つの遺跡が世界遺産に指定されたことでも分かるように、ミャンマーの幅広い地域に居住していました。部落数は298あったと中国史に記述がありますし、無人にするなど到底不可能です。またビルマ族最初の王朝の都バガンは、ピュガム(ピュー族の村)と呼ばれていたようにピュー族が多く住んでいました。その証拠に、バガン王朝初期からチャンシッター王の治世までピュー文字が使われていた痕跡が至るところにあるのです。1975年の大地震で倒壊したパゴダの中からも、ピュー文字が彫られた宝物が出てきています。さらに、バガンのパゴダにはピューの遺跡と同じレンガと見られるものが多く存在しています。

 

ピュー族の王統は南インド系であることが分かっています。そして、パーリ語が使われていたので上座部が入ってきていたことに間違いありません。その後ヒンドゥー教も入っていったようです。

一方、ビルマ族の起源とされる同時代の雲南地方の宗教は、南詔もその後の大理国も、独自の密教でした。

宗教的に見ても、もしビルマ族が南詔から来たのだとすると、己の信仰を捨てて民族全体が異教徒に変身するなど神がかりでもない限りできないでしょう。これもやはり100%でないとしても、ビルマ族の祖先には基盤に上座部仏教があったと見る方が自然です。

 

私はビルマ族の出自は、その多くがピュー族やミャンマーの部族を主体としたものであったと考えています。ピュー王朝時代には18の属国があったと記されています。ビルマ族とはその中のひとつが勃興したと考えればすべて解決します。

少なくとも、数多くの共通点がありながらピュー族とビルマ族がまったく関係がないというのは、文化継承という視点に欠けています。

 

余談ですが、ビルマ族が中国から来たというひとつの根拠になっていることに、「ビルマ語がシナ・チベット語族に属するから」というものがあります。東南アジア諸言語の系統分類自体が19世紀にできたものでその時点で怪しいのですが、その後1911年に解読されたピュー語も同様に、更にビルマ語に近いシナ・チベット語族なのです。

 

ピュー王朝が滅びる9世紀のこと、王族のタムッダリは王都があったタイエーキッタヤーから一族を連れてバガンに逃亡したという伝説があります。また一説には、シュエジーゴンパゴダには、タイエーキッタヤーから移された仏舎利(額の骨)が納められていると言われています。

なぜタイエーキッタヤーなのかということを考えると、意外と正解は近くにあるのかもしれません。

 

いずれにしてもロマンは尽きませんね。

 

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