バガンの未来(2)バガンの所有者
バガン王朝の国王だったチャンシッターは、当時仏教が衰退し荒れ果てていたインドの聖地ブッダガヤの寺院を修復しました。
一昨年インド政府は、そのチャンシッターが建てたバガンのアーナンダ寺院を、インドにゆかりの深い寺院であるとして莫大な額の寄付をし全面清掃、修復を行いました。
ぜんぜん知られてませんが、こうして千年のときを経た恩返しが続いているのです。
スケールが大きすぎて、現代のバガンを取り巻く変化など実はほんのちっぽけなのかもしれませんと思ってしまいます。
今回は昨年の5月号の続きです。2年越しですが千年に比べればちっぽけなものですね(笑)。
ヤンゴン通信連載「バガン通信」5月号
バガンの未来(2)バガンの所有者
バガン遺跡は今年に入り大幅な観光客増で、ユネスコも世界遺産登録を後押しするなど近い将来有名観光地の仲間入りしていきそうです。
ただ、バガンが他国の観光地と異なるのは、現在まで脈々と続く上座部仏教の聖地だということで、各方面の思惑が複雑に入り組んで観光発展という視点では膠着状態にあるように見えます。
今年からバガン入域料徴収の管轄が文化省考古学局から観光省の関連団体に移りました。そして入域料の有効活用をと盛り込まれた地元への予算使用が500チャット/1人になりました。
ただ、この話はJICAプロジェクトの事前調査の段階では5ドル入れたいということでしたので、それから比較すると10分の1に削減されてしまった格好になりました。
この辺も地元のグループにとっては大きな不満のようです。
バガンの住民はかつて軍政時代に遺跡保護という名目でオールドバガンから強制排除になった記憶がありますので、どうしてもお上に対する反発があるのだと思います。しかし一方でバガンを管轄するのが文化省,観光省であるとともに宗教施設であるということも話が容易に進まない理由なのでしょう。
ミャンマー仏教界にとってバガンは故郷です。
バガンにある観光スポットと文化遺産のすべてが仏教建築物ですので、これは本来お寺のものです。いや正確にいうと、お寺のものでした。つまりお寺さんにとってもお上はこの上なくこわい存在なのです。
バガン入域料は文化省から観光省に徴収所管が移りましたが、私は本当なら京都と同じように拝観料(お布施)”として寺が徴収し、この中から国庫に収めるというのが自然の流れだと思います。
バガンには、王朝時代の多くの貴重な文化財がまだ眠っていると言われています。でもこれにはお上に没収されるのをおそれ、寺宝として封印されているものも少なからずあるわけです。日本と同様拝観料とするならば、宝物館として寺自身が管理することができ、それによって観光にも寄与してもらえるわけで、これこそが本当のかたちのような気がします。
バガンというのはちょっと特殊なところでして、地元役人も含めてその辺の暗黙の了解があるようで、バランスを取ることがあります。
ある朝バガン空港にいたときのこと、ものものしい警備で軍人が何人もいたので誰がくるのかと思っていたら、1人の偉いお坊さんでした。空港にいたミャンマー人すべてがそのお坊さんを見つめていました。
道の角々にも警官が立ち、前後を警備車両に守られ完全に国賓扱いでした。私にはそれがバガンにとっての国賓で、すべての人が敬意を払い、喜んで迎えているように見えました。
私はこれでいいと思うのです。
一国の宗教指導者が実家に帰ってきたんですから。