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~バガン便り~

バガンに本社がある旅行屋のブログ

スワンナブームの話(1)仏教先進国モンからの継承

バガン仏教

伝説のスワンナブームという地に仏教が伝わったのは、実はスリランカに伝わったのとほぼ同時期です。
つまり“スリランカから上座部が伝わった南伝仏教”という認識ははっきりと間違っていて、15世紀頃までの上座部仏教はほぼ相互覚醒のような形で残ってきたわけです。ともすると堕落しがちな人間の中にあって(笑)、上座部はどちらかというと先鋭的でストイックな宗教集団だったので、歴史的に考えると何度も絶滅の危機に瀕してきています。よく残ってきたなというのが本当のところです。これからも頑張ってほしいですね。

 

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マヌーハ寺院

 

ヤンゴンプレス連載・バガン通信ー第23回

スワンナブームの話(1)仏教先進国モンからの継承

 

いうまでもなく、タイ・バンコクのスワンナブーム空港の名前の由来は古代仏教が伝わった地名からきています。スワンナブームがあったとされる場所は、日本の徐福伝説と同様各地にあります。

ただ、その後の仏教の発展を見れば間違いなくモン族の居住地域(タイ西部~ミャンマー南部)であったであろうことはタイでも多少は認識のあるところでしょう。

 

紀元前3世紀インドのアショーカ王は、スワンナブームの地に仏教を伝えたとあります。スワンナブームがどこにあったかという議論はさておき、モン族の地域には多くの仏教国家が誕生しました。この時代インドシナ諸国の中で唯一大乗仏教らと融合しなかったのがモン族だったといえます。

インドはその後ヒンドゥー化が進み、上座部仏教の中心はスリランカに移っていきます。ただスリランカも分派論争や他教徒からの圧迫が頻繫に起こるなど繁栄と衰退を繰り返していきます。

その中でモン族は唯一教として仏教国化が進みますが、大国に挟まれて残念ながら13世紀までにほぼ消滅してしまいましたので、実際どんな国だったのかは分かっていません。仏教発信国のスリランカとは積極的な往来が続いていたので、教義的にはほぼ同一化していたのかもしれません。

 

モン族がいまに伝わる足跡を残しているのは、バガンのミンカバー村にあるマヌーハ寺院です。

この寺院はモン・タトゥン国の最後の王マヌーハが幽閉されていた場所とされています。

タトゥン国は南インドやスリランカと交易していたモン王国のひとつで当時勢力を誇っていましたが、東のクメール王朝に圧迫され、その後アノーヤターが興したバガン王朝に攻められ敗北、多くのタトゥン人とともに王自らがバガンに連行されてしまいます。

 

アノーヤターがタトゥン国を攻めた理由は、三蔵の経典を譲るよう求めたがこれを断ったためと言われています。そして滅ぼしたあと300人の僧侶や多くの大工、技術者をバガンに移住させました。

アノーヤターはビルマ族初の統一国家となるバガン王朝を築きますが、当初この王朝が上座部だったかどうか定かではありません。なぜならアノーヤター王の時代、バガンの仏教用語はサンスクリット語(主に大乗仏教で使用)が使用されており、次第にパーリ語(上座部仏教)に移行しているからです。また歴史的には、“アノーヤターは当時国にはびこっていた大乗系のアラー僧の跋扈が、民の生活に甚大な悪影響を与えていたために、上座部仏教を国教とした”とされていますので、少なくともバガンに大乗仏教、しかも堕落した宗教が蔓延していたことが分かります。

 

アノーヤターには宗教指導者がいて、それがタトゥン人と同族のモン族出身のシン・アラハンでした。彼がバガン初期どのような役割を果たしたか正確には分かっていませんが、その後のアノーヤターの上座部に対する献身ぶりを見ると、この22歳の僧侶が与えた影響は計り知れません。

バガン王朝を興してすぐ、アノーヤターはスリランカへ派兵します。スリランカ王から要請があったためです。これをアノーヤターは受諾するのですが、新興国家であったバガンがその余勢を駆ってスリランカまで救援のために進出した事実はあまり知られていません。私見ですが、後世スリランカ仏教(大寺派)を採択した際にスリランカの圧力があって過去の歴史が封印されてしまったのではないかと思います。バガンでは、バガン仏教派が200年にわたって論争を挑むも結局大寺派に吸収されていってしまいましたので、現在ミャンマーでもアノーヤターの軌跡が断片的になっているのは非常に残念と言わざるをえません。

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