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スワンナブームの話(3)シン・アラハンの野望

本文に書いていませんが、モン族のシン・アラハンがビルマに来る前流浪していたのだとすると、スリランカが絶望的な状況をよく知っていたのだと思います。つまり、シン・アラハンにとっては何もビルマでなくてもよく、上座部を信じてくれるところならどこでも良かったことになります。その後アノーヤターが国教にしてからは決してビルマを去ることなく、生涯を仏教に捧げた人生は上座部仏教の中興の祖と言えるでしょう。もうちょっと評価されてもいい気がします。。

 

ヤンゴンプレス連載・バガン通信
スワンナブームの話(3)シン・アラハンの野望

 

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これまでビルマ族として初めて統一王朝を開いたアノーヤター王について書いてきました。このビルマ史上の英雄が心酔した僧侶、それがシン・アラハンでした。
ミャンマー仏教の開祖とも言えるこの人物は、実はタトゥン人ではないかと言われています。ということは、タトゥン国を攻めるきっかけをつくったのはシン・アラハンだったのかもしれないのです。

その理由として説明されているものが2つあります。1つ目は、“タトゥン国のマヌーハ王がヒンドゥー教に傾斜していったために、シン・アラハンは国を出てアノーヤター王をけしかけた”というもの。もう1つが、“強国に挟まれ、衰退していくタトゥン国が滅びれば上座部の拠点がなくなってしまうため、それを危惧したシン・アラハンが後継国家を探していた”というものです。
それにしてもスケールの大きな話です。
いずれにしても、シン・アラハンが特別な意図をもって上座部を守ろうとしていたことが分かります。

シン・アラハンがタトゥン国出身だったかどうか今となっては知る術がありませんが、モン族だったのは間違いありませんので、タトゥンと何らかの関わりがあったことは確かでしょう。そして、アノーヤター王がタトゥンを攻めたのはシン・アラハンに帰依した後のことですので、やはりシン・アラハンの進言があったと考えた方が自然です。

当時スリランカ仏教はほぼ壊滅していました。東南アジア諸国ではヒンドゥー教の勢いが猛威を振るい、仏教を圧迫していました。特に古来の純粋な信仰を重んじる禁欲的な上座部の教義が、各地で戦乱が続いていて現世利益的なものをより求める人心から離れていったのではないかと思います。シン・アラハンの時代には、タトゥン国の周辺が唯一混交しない形で上座部が残っていた地域でしたが、すぐ東から強大なクメール王朝が版図を拡大していましたので、そういった危機感を持ったのも当然かもしれません。
一説には、中国国境沿いまで布教していたそうですが、見向きもされなかったため南に下りバガンにたどりついたと言われています。そこにアノーヤターがいたというわけです。
そしてバガンには当時怪しげなカルト宗教が蔓延し、民の生活に甚大な悪影響を与えていました。

どうも流れとしてはフランシスコ・ザビエルが日本にやってきた頃と状況が似ています。宗教が堕落していた時代にひょこっと清廉な宣教師がやってきて、それまでの宗教観とまったく異なるために人々が信じるようになる。シン・アラハンもそういう僧侶だったのかもしれません。少なくとも22歳の若い僧に対し、ビルマ史上最強の王が傾倒してしまうわけですから、尋常ではないカリスマ性があったということでしょう。

シン・アラハンはその後第3代チャンシッター王の治世までバガン王朝に仕え、国家の精神的支柱として上座部とバガンの繁栄に寄与することになるのです。
歴史的に見ると、シン・アラハンがいなければ上座部は滅んでいてもおかしくない状況にありましたので、彼の功績はアショーカ王の仏教伝道以来の多大な貢献を果たしたと言えるでしょう。

 

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