現地緊急レポート「バガン遺跡に起こったこと」
※本レポートはサラトラベルミャンマーとヤンゴンプレス社の共同取材によるものです。多くの関係者へのインタビューの中で得られた事実に基づき記述したいと思います。
※2017年2月26日時点の情報ですので、最新の情報をご確認ください。
日本で報道されているバガンの被害について一部事実と異なる情報がありますので、今回バガンで何が起きたのかをご報告したいと思います。
■目 次
■概 況
■主要寺院・パゴダの被害状況
■閉鎖されているパゴダについて
■被害の原因
■今後の修復
■観光への影響
■関係者インタビュー
■集結するボランティア
■取材を終えて
■概 況
2016年8月24日17時05分、バガン近郊の町チャウ(CHAUK)を震源とする地震が発生、ミャンマー情報省はマグニチュード6.8、震源の深さは約84キロだと発表しています。バガンでの死者は出ておらず、スペイン人観光客1人がパゴダのひとつブレディから降りる途中けがをしました。バガン・ニャウンウー地区においてそれ以外の人的被害は報告がなく、また家屋にも影響はほとんどありませんでした。
一方バガン遺跡ではパゴダ・寺院の総数3212基のうち約400基に被害が出ました。
地震の瞬間について多くの人が、縦に揺れるような衝撃を感じたと述べていますが、1975年の大地震のようなひっくり返るような感覚ではないという声も聞かれました。
遺跡を管理する文化省考古学局は9月2日現在調査中としながらも、以下のように分類しています。
①長期間の修復を要する被害 15
②短期間の修復を要する被害 50~100
③軽微な被害 200
また日本でいう半壊・全壊という区分けをすると大きく報道されたスラマニ寺院を含め7基程度なのではないかということでした。個人的には、ある程度大きな被害が出ているパゴダは総数の1%にあたる30基程度出ているのではないかと思います。
なお今回の地震後閉鎖された寺院やパゴダ35基の中には、被害が甚大ではないものが多く含まれていることに留意されてください。理由は後述いたします(10月6日現在15基ほどになっています)。
被害状況をお伝えする前に、日本でも大きく報道されたスラマニ寺院について。
まず、こちらをご覧ください。
1903年頃 修復前(南側)
1906年頃 修復中(西側)
1954年 南西角
1980年頃 修復後(南側)
1980年以降(年代不詳) 修復後(西側)※上の南側写真と同じ時期
2015年 南西角
2016年 地震後(西側)
以上がスラマニ寺院の姿の変遷ですが、これで分かることは近代以降実は何度も修復を繰り返してきたことと、少なくとも20世紀に入ってから軍事政権が大規模な修復を行う前には、スラマニ寺院に尖塔部分はなかったことです。
また写真が残る1902年から1980年までの間は昔の尖塔部分の原形が分からないので、分かる範囲内で修復してきたことが見てとれます。
下記に述べるように、今回の損壊によって年配の地元の人の中に「もとに戻った」という声が多く聞かれたのは以上の理由からです。
それからミャンマーの仏教的観念から、パゴダを修復する、特に主要な寺院の尖塔や傘の部分を修復することは力の誇示を示すと歴史的に考えられてきた事実も忘れてはいけないでしょう。だからこそ、田舎の農村に落ちぶれていたバガンまでわざわざ赴いて、時の権力者が近世以前も修復を繰り返してきたわけです。
■主要寺院・パゴダの被害状況(以下の情報は9月11日時点のものです)
アーナンダ寺院:軽微 入場可能
3月から続く金箔張替作業中だったこともあり主塔に被害はなかったものの、門上部や本体の小塔下にもひびが入るなど被害が出た。
タビニュ寺院:軽微 入場不可
尖塔下の部分にひびが入るなどの被害が出たが軽微。通常通り入場できていたが9月4日より入場できなくなった。専門家によるエコーテストの結果構造的に再調査が必要だと発表されています。
シュエサンドーパヤー:軽微 登楼可能(9月11日再開)
夕日で有名なパゴダだが、尖塔部分の漆喰に剥落が見られる。その他はほぼ無傷だが安全上登楼禁止となっている。→再開されました。
シュエジーゴンパゴダ:被害なし 入場可能
金箔張替中だったがパゴダに被害はなし。パゴダ脇の建物にコンクリートに剥落が少しあった。
ティーローミンロー寺院:要修復 入場可能
尖塔部分が欠ける被害が出たがその後入場可能となった。その他門の上部にもレンガの崩れが見られる。
シュエグジー寺院:軽微 入場可能/登楼不可
外観上では目立った傷はない。入場は可能だが上層に登ることはできなくなっている。
ブーパヤー:被害なし 入場可能
川岸にあるブーパヤーは1975年の大地震の際にはエーヤワディー川に落ちて全壊してしまう被害にあった(その後再建)が、今回は被害はなかった。
ゴードパリン寺院:軽微 入場可能
尖塔部分に被害はなかったが、西側上層部の漆喰に剥がれた部分がある。
スラマニ寺院:長期間の修復を要する 入場不可
主要寺院の中でもっとも大きな被害が出た。1990年代に修復した尖塔部分がほぼ根こそぎ落ち、下層部を直撃、大きな穴を開け落下したために、バガン時代のオリジナル部分も多く損傷した。
ダマヤンジー寺院:軽微 入場可能
もともと修復されていないダマヤンジー寺院は被害が軽微だが、ひび割れが複数発生した。入場は制限されていない。
ローカナンダパヤー:軽微 入場可能
ニューバガンのローカナンダは、尖塔の傘にある寄進された宝石が落下する被害が出た。
ローカテイパン祠堂:要修復 入場不可
バガンでもっとも有名な壁画が見られるローカテイパンでは、尖塔部分が損傷し入場ができなくなっている。壁画にひびが入ったという情報もあったが、考古学局によると壁画への影響はごくわずかだという。
マヌーハ寺院:軽微 入場可能
ミンカバー村の中心マヌーハ寺院は内壁の剥落などが見られたが軽微、入場も制限されていない。
アベヤダナ寺院:要修復 入場可能
国宝級の壁画が残るアベヤダナ寺院は、尖塔部に被害が出て修復が必要な状態だが入場は制限されていない。現在きれいな壁画が見られるパゴダはここが唯一となっている。
タウングニ(NORTH GUNI):要修復 入場・登楼可能
ダマヤンジーの先にある小寺院で、現在シュエサンドーパヤーと並んで、ここがいちばん夕日がきれいに見られるパゴダとなっている。尖塔部が欠損するなど被害は出ているが登れている。
ミンガラゼディ:要修復 入場不可
大きなパゴダとして人気の高いミンガラゼディは、尖塔部の境目にレンガの崩れが起こり2日より入場が禁止となった。その他大きな被害は出ていない。
ダマヤザカ:軽微 入場可能/登楼不可
5角形の珍しいパゴダであるダマヤザカは、尖塔部分に亀裂が入り、また門のレンガが崩れるなどしたが比較的軽微。入場は可能だが、一段上の2階部分に登ることはできなくなった。
テッサワディー:不明 登楼可能(2月26日再開)
ニューバガンから空港へ向かう途中にあるテッサワディーは被害はほとんどないが、尖塔部分が接着されていなかったのか、完全にずれてしまっている。夕日を見ることができたが登楼不可となっている。→再開されました
パヤトンズ遺跡群
ミンナントゥ村周辺の廃墟群にはところどころ大きな被害が見られ、現在入場も制限されているところが多い。
パヤトンズ:要修復 入場可能(9月8日)
3つの塔が並ぶパヤトンズは尖塔部分の分離や後背部のひび割れが発生した。壁画があるために入場不可となっていたが9月8日に入場が再開された。
タヨッピー寺院:長期の修復が必要 入場不可
パヤトンズ遺跡で主要な寺院だったタヨッピーは、修復された尖塔部分が倒壊しオリジナル部分も傷めるなどの被害が出た。現在2次被害が出ないよう応急措置が取られている。
タンブラ寺院:要修復 入場不可
壁画で有名だったタンブラは、尖塔部分が折れたために入場不可となっている。しかしこれも前回の修復の拙さを露呈する形となった。ちなみに1枚目の左に見える僧院跡の門の尖塔が欠けているが、地震で起きたものでなくこれがオリジナル。
ナンダピンニャ:無傷 入場不可
壁画が残るナンダピンニャは被害がないが壁画保護のために入場ができなくなっている。
■その他被害が大きなパゴダ・寺院
サイタナ(ジー)パヤー:長期の修復が必要 入場可能(制限あり)
以前修復された尖塔部分が落下、オリジナル部分も損傷し被害が出た。現在入場はできるが近くまで行くことはできない。
ペッレイパヤー:要修復 入場不可
ジャータカのパネルがある2つのペッレイパヤーのうち1つが、最近修復した尖塔部などレンガが崩れて閉鎖されている。もともとセキュリティーもなかったため保安上当分入場できなくなる可能性もある。
その他:
いずれも1975年の大地震の後修復した箇所が倒壊または欠損したというものがほとんどで、オリジナル部分の被害は多くが軽微である。
■閉鎖されているパゴダについて
文化省考古学局は被害実態の調査および余震発生の場合の安全を考慮し、登楼できるパゴダや壁画の有名なパゴダの多くを一時閉鎖しています。これは前記した通り必ずしも地震の影響というわけでなく、予備的な対策だと言えるでしょう。
観光省などは観光への影響をふまえ、早期に開場するよう求めていますが実際いつ開くのかなんとも言えない状況です。ただ主要な立ち寄り所には考古学局の職員が毎日訪れてモニタリングしていますが、ゴーサインが出たら入場できるようになるパゴダも少なくないと話してるので少しずつ開放に向かうのかもしれません。
現在閉鎖されているその他のパゴダや寺院は以下の通りです。
・ブレディ→2月26日登楼再開
・ウパリテイン
・ウェッジーイン・グビャウジー寺院→9月11日入場再開
・ピャタジー(ピャタダ)→9月8日入場再開→2月26日閉鎖か?
・ミンカバー・グビャウジー寺院など
■被害の原因
前述したように今回の地震では、1990年代から行われた大規模な修復による影響が大きいとされています。実際落下した尖塔部分のほとんどがコンクリート製だったり、ずさんな構造によるものだったりして地元住民の反発を受けています。
またスラマニ寺院やタヨッピー寺院など原形の不明になっていた尖塔部分に、不釣り合いに重いものを無計画につけたことが原因だという指摘もあります。
ただアーナンダ寺院などを除いて長い年月尖塔の欠けた状態が続いていたバガン遺跡全体に、タイムスリップしたように塔を付けたとき、バガンの人々の多くがバガン王朝時代と同じ景色をはじめて見て感動したこともまた事実です。そこが宗教建築物であるバガンの多面性の特異なところかもしれませんが、一概に近代的な建材で修復したことだけを指して悪者にするというのも違うような気がします。
修復前のバガン遺跡全景
修復前のパヤトンズ遺跡群
前回修復作業風景
つまり、本当のところはバガン遺跡の建築物の9割以上が尖塔部が欠けていて、1975年の大地震で崩れたものも多かったのですが、それ以前にすでになかったという話もバガンの古老からはよく聞いていました。
ということは実のところバガンはいつから尖塔がなかったのか分からないということになります。
12世紀から13世紀にかけての寺院には下の写真のような模様が描かれているものが多くあります。
ですのでバガン時代には、尖塔部がバナナの形をしたその上にストゥーパが乗っていたのは確かなのでしょう。でもたびたび落ちてしまうということは、構造的あるいは形状的にもともと無理があるのかもしれません。
今回インタビューしたバガンの人に、「今後どういう修復をしたらいいでしょうか?」という質問を投げかけてみましたが、(政府関係者を除く)すべての人が、「もうなくていい。どうせまた落ちてしまう」と力を落としたように言っていたのが印象的でした。
■今後の修復について
今回の地震で損傷を受けたパゴダの多くが軍事政権時代に過度に修復された箇所だったことから、今後の修復については議論が必要となりそうです。アウンサンスーチーさんもユネスコのアドバイスを受けながら慎重に進めたいとしていますので、ユネスコの調査の後各国の技術者支援のもと文化省考古学局が行っていくことになりそうです。
特にスラマニ寺院は主要寺院で大きな被害を被った唯一の寺院ですので、相当時間がかかるのではないかと思います。
■観光への影響
これからハイシーズンを迎えるバガンでは観光客の減少につながるのではと一部に心配する声があるのは事実です。ただ1975年の地震のときのような全壊したパゴダが多く出たわけではないので、それと比較すると大きな違いがあると思います。
関係者も言っている通り、3000基以上のパゴダや寺院が現存するバガンでは代替となる史跡に事欠かないとも言えます。ただ現地としましては魅力的なパゴダが多いのでいち早く再入場できるよう期待したいと思います。
■関係者インタビュー
スラマニ寺院僧院長 U TAIZA NIYA
7才で仏門に入って41年間ずっとスラマニ寺院で起居している。
出家したその年に1975年の大地震があって今回はそれ以来のできごと。
あの時は地震は大きかったが、今回のような被害はなかった。今回は裏からちょうど見ていたがびっくりした。
1980年ごろ社会主義政権が修復したが、その時はきちんと元の形をもとにやってくれた。その後90年を過ぎて軍事政権が何も言わずにいきなり頂上部に鉄のくいを打って工事をはじめた。何も言える状況でなく、身を削るような思いをした。
次は以前のように直してくれることを期待している。
尖塔が倒壊したあと毎日2000人ものボランティアが掃除してくれているので食料が大変だ(食事などはすべて寺院が負担している)。
パヤトンズ遺跡管理人 U THAUNG HLAING
地震のときはパヤトンズにいた。上下にどーんどーんと揺れてびっくりした。
管理する遺跡をくまなく確認しているがだいぶひどくやられたのもある。
昔は仏塔の頭なんかぜんぜんなかった。オールドバガンの方は手入れしているからあったけど、こっちの方は何もなかった。それを無理につけたのが悪い。元に戻っただけ。
ただ観光客が減ると困っちゃうから開けられるのは早く開けてほしい
シュエサンドーパヤー管理人
家にいたがけっこう揺れた。
夕方時だったが雨が降っていたのでパゴダに登ってたお客さんは少なかった。
けが人がでなくてよかった。前回の地震では尖塔部が落ちてきたが、今回はほとんど被害は出てないと思う。
安全のために閉まるのはしょうがないけど、(砂絵を描いて売っているので)商売にならないから困る。
サイタナ(ジー)パヤー管理人 KO ZAW NAING
すごい衝撃があって尖塔が四方に散らばった。こわくて家からしばらく出られなかった。
出てきたらがれきから塔の中にさしてあった鉄が出てきてあ然とした。(昔の形と修復後の尖塔を描きながら)いまは昔の形に戻っただけ。もう何もしないでほしい。
前ガイド協会会長 U ZAW WIN CHO
現在タヨッピーなどに行って清掃作業を行っているが、許可に時間がかかっていて大変だ。ユネスコが到着したら被害状況をクラス分けして、その後調査、修復とプランを進めていくことになるだろう。
今回の地震でバガン時代のオリジナルの部分は壊れなかった。バガンの住民として、余計な修復などしなければよかったと非常に悔しい思いだ。
JICA観光開発プロジェクト現地主要メンバー U ZAW WEIK
地震があって5分もしないうちにパゴダに向かった。そしてすぐに今後何ができるかを考えた。これから2~3週間は調査、見通しについてはその後はっきりしそうだ。
巨大寺院は堅牢なのでまったく問題ない。
今は壊れた尖塔部分は修復するのでなく、そのままにしても良いのではないかと思っている。仏像の頭が取れるのとは違い、お寺の尖塔がなくなるのは遺跡という観点からするとやむを得ないかもしれない。
JICAプロジェクトについて、地震のことで何をするかはこれから検討していくことになるだろう。
文化省考古学局バガン事務局長 U THEIN LWIN
報道ではパゴダの被害が400を超えたと言っているが、そもそも被害が軽微なのがほとんどだ。現状としては被害状況の正確な把握がもっとも大事なので時間をかけてやる。その後ユネスコや他国のアドバイスを頂きながら判断していきたい。あくまでユネスコは技術者を派遣するだけだ。日本も建築技術者を派遣してくれるとのことなので期待している。現在ミャンマー中からボランティアが集結してそうじしたり直そうとしているので、そのパワーでよりよい方向に導きたい。
(日本人へのメッセージ)
3000基を超えるバガン遺跡の中で、今回の地震で被害を受けたのは10%にすぎません。また実際大きな被害と言えるのは、1%程度のことなので、心配しないでください。
地元NGO BAGAN DEVELOPMENT代表 U MAUNG NU
1975年の震災のときは主要寺院が軒並み被害を受けた。だから今回は比較にならない。
毎日200人のボランティアを引き連れてあちこち掃除をしている。レンガや漆喰がはがれたところなんかは3ヶ月程度で直るから大きな問題じゃない。
今後はユネスコ主導で修復計画が進むのかもしれないが、仏教の聖地だということは忘れないでほしい。
観光については、閉鎖になったパゴダもあるがそれに代わるパゴダがいくらでもあるから心配していない。
観光省バガン支局ディレクター U THAN HTUT KHAING
現在大規模な修復が必要とされるのは5~10基程度、閉鎖しているのは35基となっている。観光省としては毎日パゴダの調査、特に壁画の被害状況などを綿密に把握している。ローカテイパンなどに被害が出ているがいずれも軽いものだと考えている。
■集結するボランティア
ミャンマー仏教の聖地バガンに地震被害が発生したというニュースは、ミャンマー人の強い奉仕精神を奮い起こさせたのか、各地から続々とボランティアが集まっています。最大の被害を出したスラマニ寺院だけで1日2000人というのもので、1基あたり100~200人日ごとにまわりながら主に清掃作業を行っています。現在観光客よりもボランティアのバスの方が多い位で熱心な仏教国の本領を発揮しています。
またマンダレーやチャウセーなど周辺地域からお坊さんが檀家などを引き連れて寺単位でボランティアに来ることも多く、バガンがいまだ信仰の中心だということを改めて感じさせます。
■取材を終えて
今回のことは外国人としてバガンに在住している私にとっても衝撃的でした。何より今までそこにあったものの姿が変わってしまったので胸が痛くなりました。バガンの人々はすぐに自分たちには何ができるのか考え、地震が起こった次の日から掃除を開始していました。そこには、「自分には何をしたら良いのか分からない。だからまず最初に掃除する」という、人間として当たり前の行動でした。私もそれを見て、自分にできること、現地の日本人として「バガンでいま何が起こっているのか」を発信することからはじめてみました。
地震で尖塔が倒壊したスラマニ寺院前の露天商の若い男性は、地震の日のことを詳細に話してくれましたが、終始悲しそうでした。ずっと見てきた自分たちの誇りが失われてしまったという感じでした。一方年配の方には、1975年の記憶があるからか、元に戻って良かったと話す人も少なくありませんでした。お互いの世代に愛着があって今回のことに正反対の感情を抱くというのは複雑な心境でした。
それから上述した通り、バガンの難しさは“生ける遺跡”だということです。現在でもすべての観光スポットが信仰対象であって今後修復においても簡単にいじることができない面があります。また調査に入る以前の段階にも関わらず、多くの人がいてもたってもたまらず掃除を開始しているわけですが、ひやひやする場面を何度も見ています。つまり現場監督がろくにいるわけでもなく保全作業などを開始してしまっているのです。この辺りは早急な対策が必要だと思います。そして今後は遺跡管理と現地の人々の気持ちが相通じるような方向に向かってくれることを願っています。
観光の側面からは、バガンには珍しく私のような日本人がおりましたので、こういった情報発信の場を設けることができ、みなさんに生の情報をお送りすることができたので良かったと思っております。これが日本人などまったくいない観光地で起こったことだったら、どこがソースなのかもわからないようなニュースを見て、「ああしばらく行けないんだろうな」で終わったのかもしれません。そういう意味では少しばかりバガンに恩返しできているのかもしれません。
今回の地震でたくさんの方々から温かいメッセージやご心配の声を頂きました。本当にありがとうございました。
人的被害がほとんど出なかったことはせめてもの救いかもしれません。今は登れないパゴダや入れないパゴダが出ていますが、10年入れないわけではないと思います。またバガンの千年の歴史を考えるなら今回のできごともそう長いスパンのことではないのかもしれません。今後も現地でできることを少しずつやってまいりたいと思います。
最後に、地震によって外側の部分が崩れ、中からバガン初期のものと思われる古い仏塔が顔を出したパゴダがありましたので、ご紹介したいと思います。こういったパゴダがバガンには多く存在すると言われていますが、滅多に見られるものではありません。今回のことは悲しいできごとでしたが、ひとつだけ歴史のロマンを感じさせてくれるパゴダが現れてくれました。
取材:サラトラベルミャンマー&ヤンゴンプレス
写真:THU TAW LWIN