~バガン便り~

バガンにあるサラトラベルの情報発信ブログ

ダマヤンジーの怪(1)スリランカ=バガン動乱

今回のシリーズの内容はアジア史の大きな謎です。“南伝仏教”としてスリランカ仏教が展開していく段階で、スリランカが武力を伴って東南アジアに布教していったと推測できます。その後スリランカは2度にわたって仏教が衰退していったため、このあたりのことは歴史上の記録にしか残されていません。ただ東南アジアの上座部史を俯瞰すると、もしかすると当時(12世紀から13世紀)にかけてスリランカは上座部を背景にした強い国家だったのではないかと思えるのです。

 

 

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ヤンゴンプレス4月号掲載「バガン通信」

バガン最大のミステリー・ダマヤンジーの怪

(1)スリランカ=バガン動乱

 

バガン最大の建築物であるダマヤンジー寺院はバガンでも異様な雰囲気を持つ巨大寺院です。
奇怪な言い伝えから幽霊が出ると信じられていることもあり、アーナンダ寺院などとは対極的でネガティブな存在感を放っています。

そのイメージをを印象づけているのは2つの伝説です。
その2つとは、“血で血を洗う王家の歴史”と“その結果未完成に終わったという言い伝え”です。
ただ、私はこの“未完成のまま”という部分に疑問を持っています。なぜかというとダマヤンジーは、未完成になったというよりも、完成したあと地震で崩れたままになった痕跡があるからです。

まず、13世紀に書かれたスリランカの年代記『小史』(第1部)には次のような記述があります。

“スリランカとバガンは古くから交易が盛んで、さらに共通の宗教を持つという非常に親しい関係にあった。バガンは9世紀になって権力を誇示するようになり、11世紀までにはアリマダナプラ(幸福の都)と呼ばれる首都となり、仏教修学の中心地となった。

ところがアラウンシードゥー王の後継である孫のナラトゥ王の治世に、王座をめぐって劇的なできごとが起こる。バガン王は、スリランカ王からの使節団を拘束し所持品を没収した上で投獄した。そしてスリランカとのすべての輸出入を突如禁止し、こう宣言した。

今後シンハラ(スリランカ)から来訪するいかなる船舶もバガンへ入港することを禁じる。もし入港を試みようとするシンハラ人が現れたなら、なんびとたりともこれを殺害する。”

突然起こった国交断絶について、バガン側には一切記録が残されていません。しかしこの衝撃的な事件の顛末を、『小史』はこう続けています。

“スリランカ王パラクラマバーフ1世はこの報を聞きバガンへ派兵した。これがどの程度のものだったかは定かでないが、記録によると1年分に相当する食糧、弓矢、強力な象部隊であったという。スリランカ部隊はクスミヤ(今のパテイン近辺)に上陸しこれを奪い、途中いくつかの都市を攻略しながらバガンに到達、ついにバガン王のナラトゥ王を殺害した。これによって両国は国交を回復し、以前のような平和が戻った。…(後略)”

なんともすごい記述ですが、ナラトゥ王はミャンマー史の中でもきわめて評価が低い人物で、父王のアラウンシードゥーと、同じく王子だった長兄を殺害して自ら即位したとされています。そして自分も殺害されたために、建設中だったダマヤンジー寺院は主がいなくなったという理由で未完成のままになったといいます。

また、一般にナラトゥ王は周囲の人間を次々に殺したために西方の部族に報復されたと言われています。
ただ、ナラトゥ王にはもうひとつ古い呼び名があります。それは「異国人に暗殺された王」というものです。

 

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