バガン&ホイアン便り - ミャンマー・ベトナム観光 情報ブログ

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温度差のある仏教史観

あけましておめでとうございます。

先日ヤンゴンの国際上座部大学に行きましたら、ミャンマーでいちばん偉いという高僧の方がちょうど来ていて、私と一緒の人が「お坊さん、ぜひ今度うちの近所のお寺で説法を聞かせてください」と誘ったら、その高僧は「私はあまりの忙しさで死んじゃったと思ってください」と言いながら、ハッハッハと笑って去っていきました(笑)。

別に上座部を信仰しているわけじゃないのですが、仏教のことを調べるとお坊さんと会う機会が多くなります。それで感じることは、高僧という高位にあるお坊さんはたいてい冗談が好きで、人を惹きつける力がすごくあります。

まあバガンに高僧が来たときのバガンの人々の歓迎ぶりをみれば、言ってみればアイドルのような存在ですからね、人に影響を与えるという意味では同じかもしれません。

これからもミャンマー人の精神的支柱として頑張ってほしいです。

 

 

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ヤンゴンプレス2017年1月号掲載「バガン通信」

温度差のある仏教史観

 

今年私の会社のスタッフを視察のためにタイ上座部の発祥ともいえるスコータイ遺跡に連れていったのですが、なんとタイの仏像を拝みませんでした。一概に言えないとは思いますが、なぜかと聞いてみると、「(バガンのと)同じなんですか?」と逆に聞かれてしまいました。

つまり、そのスタッフにとってはミャンマーの上座部とタイの上座部は同じでないという認識があるようなのです。これには驚きました。

 

ビルマのコンバウン朝は、1871年各国の上座部の高僧を集めてマンダレーで仏典結集(けつじゅう)を行いました。その前に結集が行われたのは紀元前1世紀だと言われていますので、歴史的にみて非常に画期的なことで、この時にまとめられた仏典が世界記憶遺産にも指定されているクドードーパゴダの膨大な碑文です。

 

このように近代になって統一を果たしたはずの上座部仏教ですが、離島であるスリランカと、タイの影響を強く受けているラオスを除いて、各国ともそれぞれ国家が敵対した歴史を持ちます。ですので、カンボジアはタイから上座部が移入したことを認めたがらず、タイはミャンマーに本流があったことを受け入れたらがらず、ミャンマーはスリランカの影響を強く受けた事実をいやがります。

 

今でこそ多くの国で国教といえるほど浸透し、仏教の力がなくては国家が成り立たないほど人々の生活に深く根ざした上座部ですが、歴史をひも解くと近代以前の仏教は何度も壊滅の危機に瀕しています。スリランカがヒンドゥー教からの圧迫で消滅寸前だったときに助けたのはバガン朝アノーヤター王でした。その後バガンが滅びるとスコータイへ移り、スリランカの復活とともに勢力を次第に拡大していきます。

その過程でも、ストイックな教義のために人心をつかむのは容易でなく、信仰を守るためスリランカとビルマを中心に高僧や学僧を相互に派遣しあうことによって信仰の覚醒をはかった痕跡が何度も見られます。1871年の第5結集も英国によるビルマ併合の直前にミンドン王が呼びかけたことなので、同じ目的があったことは明白です。

 

ところで余談になりますが、カンボジア人にミャンマーの印象を聞いてみると、不思議と「良い国だ」と思っていることが多いです。理由を聞いてみると、仏教信仰がもっとも強い先輩国だと思っているようです。また逆にミャンマー人にカンボジアの印象を聞いてみると、「アンコールワットのある同じ信仰の未知の国」というものが多いです。お互いよく知らないけど、好意的に思っているというのが興味深いです。ただそこに共通しているのは同じ宗教だということだと思います。

 

ミンドン王がこの国の未来を危惧して結集を開催したあと、上座部同士の交流はまた少なくなりました。
信仰のない部外者がいうのも変ですが、上座部各国は同じ宗教を信じるいわば同郷のようなものです。変わりゆくミャンマーを見ていると、いまこそ先人が行ったのと同じ相互覚醒が必要なのではないかと感じます。

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