~バガン便り~

バガンにあるサラトラベルの情報発信ブログ

ミャンマーナショナル航空機が胴体着陸(詳報)

日本でも大きく報道されているミャンマーナショナル航空(国営航空)UB-103便の胴体着陸事故について、本日朝からマンダレー空港の離発着は平常通りに戻っております。

昨日5月12日、乗客乗員89名を乗せたミャンマーナショナルエアウェイズ(国営航空)ヤンゴン発マンダレー行きUB-103便が、マンダレー着陸時にギア装置の異常が発生し、前輪が出ないまま胴体着陸したということです。



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国営紙Global New Light of Myanmarによりますと、ミャンマー国内線の同機(機材:エンブラエル190/機体番号:XY-AGQ)は5月12日午前8時ヤンゴンを離陸、その後着陸態勢に入ってから、機長が前輪の異常を管制塔に報告し緊急着陸を要請、午前9時9分燃料を投棄し機体を軽くした上で胴体着陸を試み無事着陸したということです。この事故でけが人などは出ませんでした。

なお、当社では同エアラインの航空券を手配しておりませんが、今後ご搭乗予定の方は手配された代理店などで今後の予定を確認されてください。ただ、当社調べでは、該当便(UB-103)は毎日運航機材が変わるフライトですので、今後は別機材にて予定通り運航されるのではないかと思います。

本インシデントはミャンマー国内線の事故としては2015年7月にエアバガン(現在運航停止)が起こしたオーバーラン事故(けが人1名)以来のものとなりますが、事故機種のエンブラエル190は日本でも使用されている機材ですが、ミャンマー国内線としては同社が2機保有するだけで、他はすべてATR-72(500/600)を使用しています。

また昨日の事故ではマンダレー空港の滑走路全長15000フィートのうち4000フィートの位置で停止し余裕もあり、映像を見てもメインギア(後輪)からの接地も安定していたため、前輪ギア故障の際の機長の技術・対応としては適切であったと言えそうです。

事故原因は現在調査中のために今後明らかになると思いますが、同エアラインはかつて非常に事故が多かったことで有名で、運航管理体制のより安全な航空会社を利用すべきだと改めて実感いたしました。

ただ気になるのは、インシデントとしては先日のビーマン・バングラ機の事故の方がはるかに重大であると思うのですが、日本のメディアは動画が残っている方を取り上げる傾向があるので、その辺少しだけ疑問に感じます…。

※ミャンマー国内線は、2019年現在同社と、AIR KBZ、マンヤダナーポン航空、ゴールデンミャンマー航空、ヤンゴンエアウェイズの5社のみが運航しています。



※元記事:

tokuhain.arukikata.co.jp

 

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ミャンマー・トレジャーリゾート・インレーがリノベーション

インレー湖上にある人気のリゾートホテル、ミャンマートレジャーリゾートが2019年6月1日から9月1日(予定)まで、全館リノベーションのために閉館します。

なお、期間中の既約分につきましては、ホテル側にて代替ホテルを用意することになりますので、ご予約を入れている方はホテルまたは手配された旅行代理店にお問い合わせください。

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Myanmar Treasure Resort, Inle

www.myanmartreasureresortinle.com

※元記事:

tokuhain.arukikata.co.jp

 

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ビーマン・バングラディシュ機がヤンゴン空港で着陸失敗

昨日5月8日18時52分頃、ダッカ発ヤンゴン行きのビーマン・バングラディシュ航空BG-60便(ボンバルディアDHC-8)が、悪天候の中ヤンゴン空港への着陸に失敗、この事故によって乗員乗客合わせて18人が病院に搬送されたということです。けがの程度などは分かっていません。


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なおミャンマー航空局によりますと、ヤンゴン空港はこれに伴い一時閉鎖されましたが、21時01分に使用が再開されています。本日の発着便に遅れなどは出ていない模様です。

同エアラインをご利用の方は、運航予定の変更などが発生する可能性がありますので、ご注意ください。

※ソース:Deapartment of Civil Aviation Myanmar

 

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仏像の中からまた仏像

バガン遺跡は11~13世紀に栄えた仏教都市です。そしてバガン王朝が導入した仏教の上座部は、現在に至るまで連綿と受け継がれ、それは一貫して続いているとされています。

ところが、バガン初期のものには、現在では説明がつかない不思議なものがいくつも発見されているのですが、そのひとつがこれです。


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1枚目は最近発掘されたチャウセー近郊のタモテ・シンピン・シュエグジー寺院から出たもの。2枚目はオールドバガンにあるナッタ・シントゥー小寺院の本尊です。いずれも11世紀につくられたそうですが、オカルトチックでコワいですよね(笑)。

仏像の胸の中に仏頭が埋め込まれていますが、いまの上座部のお坊さんにはまったく理解できないでしょう。なぜこういうつくりなのか分かっていませんが、私の知る限りバガン時代のものとしてこの2つしか確認できていません。ただ、もしかすると11世紀の仏像には実は同じようなものが他にも存在している可能性はあります。

ひとつポイントとなるのは、いずれの仏像もインド系の顔だということです。これはバガン王朝初期にみられるタイプなのですが、今に伝わる上座部とは違う系譜の分派があって、その影響があったのだろうと推測できます。

いずれにしても、バガン遺跡の中にはこういった考古学的に説明がなされていない遺物があるというのが面白いところかもしれませんね。


※オールドバガンの小寺院の場所は次の場所ですのでご旅行予定の方は寄ってみてください(館内入場不可)。



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“世界遺産に「殺された」富岡製糸場の教訓”の感想

昨日4月8日にプレジデントオンラインに掲載された標題の記事に、バガン遺跡は「危険なほどの混雑」に見舞われたという内容があり、当社のサイトも非常に高いアクセスがありました。

president.jp



この記事の中で、「観光亡国論」の著者であるアレックス・カーさんは以下のように述べています。

“夕方になれば絶景スポットとされる高さ数十メートルほどの寺院に人々が大挙して集まり、その混み合うさまは古代寺院の神秘どころではなく、危険そのものです。中には夕暮れをBGM付きで楽しみたいということで、あたりかまわず音楽をかける人も出ているといいます。”

そして、ユネスコによる世界遺産登録による弊害として次の4段階を踏むと指摘します。

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1、世界遺産に登録される、あるいは登録運動が起こる
2、観光客が押し寄せて遺産をゆっくり味わえなくなる
3、周辺に店や宿泊施設が乱立して景観がダメになる
4、登録地の本来の価値が変質する
----------

私はアレックス・カーさんの言うことに反論はしませんが、バガン遺跡に関して言いますと、この人は重大なポイントを見落としています。

それは、バガン遺跡は現役の信仰対象である仏教聖地であり、遺産登録地は観光以前に地元民が居住する生活地であることです。そしてカンボジア・アンコールワットの拠点であるシェムリアップも同様、地価が高騰し、現地の人々にとって子孫のために土地や家を買うことが不可能になっているという事実です。

世界遺産が単なる観光における商業化の手段となっていることは誰でもわかっていることです。ただ現地の人々の生活権を大きく侵害することだという方が、より重大な問題点であると思うのです。

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南伝仏教の誤りとビルマ族の興り

※ひさびさにマニアック路線です。興味がある方だけどうぞ。

 

ミャンマーに仏教が伝来したのは、日本では南伝仏教としてスリランカから伝わったとされていますが、これは明確に間違っています。

 

ビルマ族初の統一王朝がアノーヤター王が興したバガン王朝ですが、王は上座部を国教と定め仏教の教えをもって国を治めようとします。これが1044年のことです。
そしてバガンの仏教はモン族から移入したものです。当時バガンにはアリー僧(おそらく大乗の一派)と呼ばれる堕落した僧団がいて人心を惑わすために、これを排除しようとして上座部を国是にしようとしたと言われています。

 

モン族はもともと強い信仰を持つ上座部国でしたが、14世紀までにほぼすべてのモン族の国家が消滅してしまったためにどのような民族だったのかわかっていません。スリランカとも交易を持っていたようで、仏教先進国だったと考えられています。

 

さて、その仏教発信地だったスリランカですが、当時のシンハラ王朝は北からヒンドゥー教の侵攻を受けほぼ壊滅状態でした。スリランカ考古庁は、「高僧がほとんどいなくなって、サンガが成立しえなくなった」と書いていますので、一般に高僧が4人以下になったいたとされています。アジア中から学僧が修行に訪れた仏都アヌラダプラは荒廃し、国土の4分の3を奪われるというあり様でした。

 

リンケージな歴史を組み立てると、このスリランカの高僧の多くがモンに逃避してきていたのだろうと考えています。そしてモン国家のうちもっとも権勢を誇っていた国がタトゥンでした。
バガン朝を建国したアノーヤターはタトゥン国を攻めます。その理由は「三蔵仏典を譲るよう求めたがこれをタトゥン王が断ったため」と言われています。

 

面白いことに、この仏典を奪ってのちピタカタイ(三蔵経庫裡)に奉納するのですが、現在スリランカのポロンナルワには“戦乱によって失われていた三蔵経典をラーマナー(バガンのこと)の友人であるアノーヤター王はわが国に取り戻してくれた”と記述されているのです。

 

私は史実として、バガンのアノーヤターは、仏典を譲らなかったからタトゥン国を攻めたわけではなく、仏教先進国であるタトゥン国を吸収したと考えています。理由の1つは、タトゥン国の王マヌーハはバガンに移住させられるのですが、かなりの自由を保っていたらしく、自身の寄進によってマヌーハ寺院を建て周囲はすべてモン族の寺院が立ち並んでいます。そしてバガン初期のパゴダや寺院のほとんどはモン族の職工がつくった痕跡が残されているのです。

 

そしてもう1つの理由は、バガン仏教の精神的支柱となった大僧正シン・アラハンはモン族であり、一説ではタトゥンの出身だとされています。このことからも、アノーヤター王がモン族の文化を吸収して仏教を自国に取り入れようとしたことがわかります。しかも、経典をスリランカに返還しただけでなく、数百人もの僧侶を派遣します。そして現在スリランカの国立博物館には「シンハラ仏教の復活はビルマの主導によって行われた」と明記されているのです。

 

つまりこの時点でわかることは、上座部発信地であったスリランカが存亡の危機にあったため、多くの僧侶が避難していたモン・タトゥン国をバガンが武力によって吸収し、その後スリランカ仏教を復活させるために尽力した。ということで南伝仏教は正しいかのように思えます。

 

ところで、バガン王朝の前はピュー王朝時代です。バガンはビルマ族、ピュー王朝はピュー族ですので、直接的な関わりはないように感じられますが、バガン初期の寺院建築に用いられたレンガの多くがピュー王朝の都市タイエーキッタヤー(スリクシェトラ)のものと同一だと認められます。そして、バガンはアノーヤターが最初につくった都市ではなく、バガン←パガム←ピュガム(ピュー族の村)という地名の変遷からも多くのピュー族が居住していたことが分かっています。世界記憶遺産に登録されたミャーゼディー碑文も書かれている4つの言語のうち1つはピュー語です。

 

また伝説では、アノーヤターが建てた主要なパゴダのうちシュエジーゴンパゴダの中には、タイエーキッタヤーから持ってきた仏舎利(あごの骨)が奉納されているといい、ピューの説話にも、「王国が滅びる際王族のほとんどが殺されたが、王子のひとりがバガンに逃れた」という記述が残されています。

 

要するにピュー王朝もれっきとした仏教国家であり、タイエーキッタヤーにある国立博物館にも多くの仏教関連遺物が展示されています。ピューは王族の出自がインド系であることからもスリランカ経由ではなく、インドから直接仏教が伝来しています。モンを除くタイ地方やカンボジア(古クメール)にも仏教が伝わっていますが、これらもインド由来です。

 

南伝仏教がインドシナ各国に伝来してはじめて仏教が伝わったというのは間違いで、それ以前に仏教はあったわけです。ではなぜスリランカから伝播したことになっているかというと、

 

12世紀にスリランカで仏教革命が起こります。それまでは多くの分派が存在したのですが、それを時のシンハラ王パラクラマバーフ1世は大寺派が正当とし、それ以外をすべて異端として排除したのです。当時バガンや周辺諸国でも仏教が信仰されていましたが、スリランカはそれを他国にも強要します。バガンでは学僧サパダらが、この大寺派が正当とされたことを持ち帰って運動をおこしますが、それまでの守旧派が反発、200年もの間バガンで宗教論争が続いたと書かれています。
その後守旧派は消滅し、大寺派が本流として現在にいたっています。

 

つまり、南伝仏教とはこの大寺派のことであり、正確にいうならば“12世紀スリランカでは宗教改革を行い、各国もそれに従った。それが現在に続く上座部仏教に続いている”というべきで、南伝仏教によってインドシナ各国に仏教が伝わったというのはまったくの間違いだということになります。

 

さて、現在のミャンマーを形成する主要民族のビルマ族ですが、起源があいまいです。19世紀に西洋人がビルマ=チベット語族と分類して、ビルマ族は中国雲南の南詔あたりから突如くだってやってきたことになっていますが、私はこれは荒唐無稽なこじつけだと思っています。

 

ビルマ雲南起源説の根拠として、ビルマ語がバガン王朝時代以前に使われた形跡がないというものがあります。ビルマ史家タントゥンは著書の中で、石碑の中でビルマ語が最初に使われるのが1113年以降であり、それ以前はモン語が使われていると書いています。つまり、ビルマ語を持っていたビルマ族がバガンにやってきたわけではなく、ビルマ族は1113年までモン語を使っていたということになります。

 

「ビルマ族」という呼び名がいつから使われたのか分かりませんが、たとえば李氏朝鮮でハングル文字を1446年に世宗大王が制定したように、ビルマ語も途中から使われたという可能性が高いです。ですので質問するならば、「ビルマ族の出自は?」ではなく、「アノーヤター王はどこの民族出身だったか?」という質問であれば正しいのではないかと思います。

 

碑文研究の第一人者である大野徹は、バガン王朝は多くの民族から形成されていたと書いていて、王朝内にはクメール人の大臣が存在したことが指摘されています。このことから、バガンとはビルマ地方の多くの民族の集合体で成立していたのではないかと考えられます。ちなみにバガンにいた主要民族は、ピュー族・モン族・インド人・クメール人・タイ族となっていますので、要は周辺の人々すべてがいたということになります。

 

ビルマ族の起源はなにか?に対する答えは、「どこそこにいた民族」と答えるのではなく、「ミャンマー初の統一王朝であるバガン国を形成した人々」というのがもっとも正解に近いのではないかと思うのです。

 

 

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ミャンマー水祭り記念切手を発売!

こんにちは。
ミャンマー通信省は、ミャンマー正月を記念してティンジャン(水祭り)の風景と、4月を代表するミャンマーの花であるパダウとガンゴウをデザインに取り入れた記念切手を発売すると発表しました。

 

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これはかわいいですね。
というか、通信省にこんなセンスあったんですねって、あっゴメンなさい(笑)。
ちなみに、ニューバガンにある郵便局に聞いてきましたが、4月5日から販売するということでしたので、どこの郵便局でも買えるのではないかと思います。料金は200Ks(約15円)です。


今年のバガンも暑いです。その分天気はいいですので、観光予定の方は体調管理にくれぐれもお気をつけてまわられてくださいね。


※本記事は地球の歩き方ブログ掲載記事と同内容です。

tokuhain.arukikata.co.jp

 

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