読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

~バガン便り~

バガンに本社がある旅行屋のブログ

ガパリ・サンドウェー空港が国際空港に!?

イラワジ紙によると、ミャンマー観光省は、国内随一のビーチがあるガパリの拠点であるラカイン州のサンドウェー空港(SNW)を、ジェット機材が発着できる国際空港へと拡張する方針だということです。
ただし、この計画は現在検討段階にあるため確定事項とはいえないようです。

 

f:id:saratravel:20170511172744j:plain

 

まあ観光地の宿命なのでしょうが、個人的には複雑な心境で、もしそうなると開発も進み、水質汚濁などの環境汚染が懸念されることになるでしょう。
ガパリを訪れた方の多くが、“人魚像と小さなパゴダしかない素晴らしい海岸”と評していますが、いつまでものどかなスーパービーチというわけにはいかないのですね。
今年はサステイナブルツーリズムの年に指定されていますが、ぜひともそういった観光資源の保護という視点をもって観光発展していくよう願ってやみません。

 

www.irrawaddy.com

 

にほんブログ村 旅行ブログ ミャンマー旅行へ
にほんブログ村

バガン最大のミステリー・ダマヤンジーの怪 (2)大僧正出奔

度重なるヒンドゥー教のセイロン島侵攻と、長期にわたり西洋の植民地となったことでスリランカ仏教が衰退し、また緬泰(ビルマ=アユタヤ)戦争などの影響で隣国同士が戦乱を繰り返したこともあり、近世以降上座部各国の関係性が薄れてしまいました。ただ、バガンとポロンナルワの時代背景を読み解くと、相思相愛の深い関係が当時あったことが分かります。現在でもミャンマーとスリランカがもっとも信仰の深い上座部国であることを考えると、何か歴史の必然というか、時代を超えた縁というものを感じます。

 

ヤンゴンプレス5月号掲載「バガン通信」
バガン最大のミステリー・ダマヤンジーの怪

(2)大僧正出奔

 

f:id:saratravel:20170501221612j:plain

 

1170年に暗殺されたバガン朝のナラトゥ王ですが、その記録がバガンには残されていないために真相はわかっていません。ただ、伏線となる出来事が起きています。

ビルマ側の史書には、仏教の最高指導者である大僧正シン・パンタグが1167年スリランカに出奔するという大きな事件があったと記述されています。バガン仏教の開祖シン・アラハンが逝去したのが1115年で、その後継者として跡を継いだのがこのシン・パンタグです。彼はアラウンシートゥー王の庇護を受け、タビニュ寺院やシュエグジー寺院の建設を主導しますが、王が息子のナラトゥに殺害されると、その背信行為に強く抗議し、スリランカに渡ってしまったのです。

一方、彼が出奔した先のスリランカ(シンハラ王朝)はパラクラマバーフ1世の治世です。このシンハラ王は1153年に念願だったセイロン島を統一し、150年にわたるヒンドゥー教との戦いで荒れ果てていた国土の復興に力を注ぎます。そして仏教国としての尊厳を復活させるべく仏典や教義を見直し、上座部各派の中で大寺派に一本化したのでした。つまり、従来の上座部を改め、南伝仏教と呼ばれる現在の大寺派に変えたのがこの王なのです。
そんな時にバガンから旧派仏教の大僧正が亡命してきたわけです。パラクラマバーフ1世から見たら願ってもないタイミングだったでしょう。

スリランカ側にはバガン仏教の最高位にある高僧が渡来してきた事実は書かれていません。ただ、そのすぐ後にスリランカ王がバガンに派兵し、かの国の王を暗殺しただけで兵を撤退させたと記されているわけですから、両国の記録を読む限り状況と結果はぴったり符合するのではないでしょうか。
ビルマ史家のタントンやルースは、スリランカの襲撃によってナラトゥ王が暗殺されたという説を採用していますが、その理由を貿易利権に関わる両国間の対立としています。ただ私には上座部史の観点から、シン・パンタグの進言によるスリランカ王の政権転覆と大寺派の布教が目的だったと思えるのです。

シン・パンタグはシン・アラハンの愛弟子でしたので、スリランカの新派(大寺派)に傾倒していたわけではなかったと思います。彼としては、ナラトゥ王の非道でバガン王朝が誤った方向に進んでいるのを危惧してスリランカに助けを求めただけだったのかもしれません。

ですが、結果的にこのことがスリランカの干渉をゆるし、バガン仏教も大寺派に呑み込まれるきっかけになったと言えます。バガンはスリランカが復活する以前は、各国の仏僧が逃れる仏教徒のシェルターであり、中国史にも度々登場するほどのアジア唯一の上座部国でした。それが大僧正が亡命するというこの事件によって歴史の流れが大きく変わったと言っても過言ではないでしょう。

その後シン・パンタグは1174年にバガンに戻りそこで大僧正に復帰、まもなく逝去しています。ちなみに、彼が後継に指名した次期大僧正もやはりスリランカで修業したシン・ウタラジヴァでした。そして次第にバガン仏教の教義は独自色を失い、スリランカ仏教に同化していくことになるのでした。

にほんブログ村 旅行ブログ ミャンマー旅行へ
にほんブログ村

GWの空港係員設置について

サラトラベルでは、ゴールデンウィーク期間中ヤンゴン・バガン両空港に空港係員(日本語対応)を設置いたします。

係員がいる時間帯は下記の通りです。

■ヤンゴン空港:4月29日~5月6日

5時30分~8時00分頃(早朝便出発時)

■バガン空港:4月29日~5月7日
7時30分~10時00分(早朝便発着時)
15時30分~17時30頃(夕方便出発時)


ヤンゴン空港国内線乗り場はターミナル3ですので、ご注意ください。


空港係員は、ご搭乗手続がスムーズに行われているか確認させて頂くこと、また時刻変更などの緊急対応が主な業務となります。
分からないことなどがありましたらお気軽にお声がけくださいませ。
どうぞ宜しくお願いいたします。

 

f:id:saratravel:20170427194917j:plain

 

にほんブログ村 旅行ブログ ミャンマー旅行へ
にほんブログ村

新装!黄金の塔が復活

バガンの象徴シュエジーゴンパゴダが本塔の張替を終えました。
アップで見ると、金の板を打ち付けてあるのがはっきり分かりますが、上部だけでなく、塔の部分はすべて金箔でなく板のようです。
すごいですね、これ。

 

f:id:saratravel:20170423202402j:plain


マルコポーロが“小指の長さほどある純金を打ち付けた”と描いた”黄金の塔“が復活したようです。観光の目玉になるでしょうし、ゴールデンウィークに間に合って良かったです。ぜひ見に行かれてください!

 

f:id:saratravel:20170423202429j:plain

 

ちなみに、このように純金の板を打ち付けてあるパゴダというのは、ヤンゴンのシュエダゴンパゴダやスーレーパゴダぐらいのものなので、ミャンマー中のパゴダの原型になったといわれるシュエジーゴンの面目を保った形になりました。

 

にほんブログ村 旅行ブログ ミャンマー旅行へ
にほんブログ村

GW期間中 NH814にお乗継ぎの方に無料送迎実施

※当社にて乗継ぎを保証するものではありません。

※該当するお客様には個別にご案内いたします。

4月29日(土)〜5月7日(日)まで、下記のお乗継ぎの方にターミナル間の無料送迎(日本語ガイド付き)を実施いたします。

エアカンボーザ(K7265)→ANA(NH814)へお乗継ぎの方で、サラトラベルにて国内線をお買い求めのご搭乗客が対象です。

 

■バガン発 17:50
■ヤンゴン着 19:10 (ターミナル3)
↓↓
【ターミナル間送迎/車両】
↓↓
■ヤンゴン発 21:45 (ターミナル1)

・必ず事前のご予約が必要となります。

・本サービスは国内線の遅延に対応するものです。搭乗客の多い日などは、乗継ぎに差し支えない程度に他の方を多少お待ちいただく可能性もありますのでご承知くださいませ。

 

f:id:saratravel:20170408121227j:plain

 

にほんブログ村 旅行ブログ ミャンマー旅行へ
にほんブログ村

ミャンマーeVisaの緊急取得について

ミャンマー旅行には観光ビザの取得が必要です。

2017年現在もっともスピーディーで便利なのがオンラインによる取得です。

英語による手続きなので分からない人は【ミャンマー evisa】などで検索すると日本語による詳細な説明サイトが多くでてきますので、そちらをご参照ください。

 

ビザは通常3営業日程度で取れますが、1日で取れたというお客さんの声も聞かれましたので、取得忘れがあっても飛行機をキャンセルされる前にトライされてみてください。

 

■申請ページ:

evisa.moip.gov.mm

 

■問い合わせ先

電話 +95-67-431125

メール contact@evisa.moip.gov.mm または https://evisa.moip.gov.mm/ContactUs.aspx

※月曜~金曜(祝日を除く)/ミャンマー時間9時~17時まで対応となっています。
※ミャンマー大使館などに問い合わせても進捗・取得可否について把握していません。 

 

■料金・有効期間など

申請手数料は50ドル(支払方法はクレジット決済)、ビザの有効期間は90日間、滞在可能期間は28日間です。

 

 

f:id:saratravel:20170404100641j:plain

 

 

にほんブログ村 旅行ブログ ミャンマー旅行へ
にほんブログ村

ダマヤンジーの怪(1)スリランカ=バガン動乱

今回のシリーズの内容はアジア史の大きな謎です。“南伝仏教”としてスリランカ仏教が展開していく段階で、スリランカが武力を伴って東南アジアに布教していったと推測できます。その後スリランカは2度にわたって仏教が衰退していったため、このあたりのことは歴史上の記録にしか残されていません。ただ東南アジアの上座部史を俯瞰すると、もしかすると当時(12世紀から13世紀)にかけてスリランカは上座部を背景にした強い国家だったのではないかと思えるのです。

 

 

f:id:saratravel:20170402090348j:plain

 

 

ヤンゴンプレス4月号掲載「バガン通信」

バガン最大のミステリー・ダマヤンジーの怪

(1)スリランカ=バガン動乱

 

バガン最大の建築物であるダマヤンジー寺院はバガンでも異様な雰囲気を持つ巨大寺院です。
奇怪な言い伝えから幽霊が出ると信じられていることもあり、アーナンダ寺院などとは対極的でネガティブな存在感を放っています。

そのイメージをを印象づけているのは2つの伝説です。
その2つとは、“血で血を洗う王家の歴史”と“その結果未完成に終わったという言い伝え”です。
ただ、私はこの“未完成のまま”という部分に疑問を持っています。なぜかというとダマヤンジーは、未完成になったというよりも、完成したあと地震で崩れたままになった痕跡があるからです。

まず、13世紀に書かれたスリランカの年代記『小史』(第1部)には次のような記述があります。

“スリランカとバガンは古くから交易が盛んで、さらに共通の宗教を持つという非常に親しい関係にあった。バガンは9世紀になって権力を誇示するようになり、11世紀までにはアリマダナプラ(幸福の都)と呼ばれる首都となり、仏教修学の中心地となった。

ところがアラウンシードゥー王の後継である孫のナラトゥ王の治世に、王座をめぐって劇的なできごとが起こる。バガン王は、スリランカ王からの使節団を拘束し所持品を没収した上で投獄した。そしてスリランカとのすべての輸出入を突如禁止し、こう宣言した。

今後シンハラ(スリランカ)から来訪するいかなる船舶もバガンへ入港することを禁じる。もし入港を試みようとするシンハラ人が現れたなら、なんびとたりともこれを殺害する。”

突然起こった国交断絶について、バガン側には一切記録が残されていません。しかしこの衝撃的な事件の顛末を、『小史』はこう続けています。

“スリランカ王パラクラマバーフ1世はこの報を聞きバガンへ派兵した。これがどの程度のものだったかは定かでないが、記録によると1年分に相当する食糧、弓矢、強力な象部隊であったという。スリランカ部隊はクスミヤ(今のパテイン近辺)に上陸しこれを奪い、途中いくつかの都市を攻略しながらバガンに到達、ついにバガン王のナラトゥ王を殺害した。これによって両国は国交を回復し、以前のような平和が戻った。…(後略)”

なんともすごい記述ですが、ナラトゥ王はミャンマー史の中でもきわめて評価が低い人物で、父王のアラウンシードゥーと、同じく王子だった長兄を殺害して自ら即位したとされています。そして自分も殺害されたために、建設中だったダマヤンジー寺院は主がいなくなったという理由で未完成のままになったといいます。

また、一般にナラトゥ王は周囲の人間を次々に殺したために西方の部族に報復されたと言われています。
ただ、ナラトゥ王にはもうひとつ古い呼び名があります。それは「異国人に暗殺された王」というものです。

 

にほんブログ村 旅行ブログ ミャンマー旅行へ
にほんブログ村