ヤンゴンプレス・2月号連載「バガン通信」
遺跡に囲まれたミンナントゥ村はいわば私のあこがれの場所でして、いつかこの村に住みたいと思っています。
ただ政府によってもうすぐ電気が通るようなので、この村も緩やかに近代化してしまうのかもしれません。
今回のバガン通信は、宮大工の末裔ミンナントゥです。
遺跡の中にある集落・ミンナントゥ村
バガンは考古学保護地区に指定され非居住地域になっていますが、ミンナントゥ村だけは例外で居住地域です。正確にいうとバガン域内には他にも村がありますが、人口600人足らずのミンナントゥは遺跡の中にある村で少しだけ特別です。
この村はバガン王朝時代から大工の住む集落で、かつてはアーマナー(ARMANAR)と呼ばれ現在よりさらに遺跡寄りにありました。日本でいう大工町ということになりますが、ミンナントゥなどの技術者集団がパゴダや寺院の寄進に重要な役割を果たしていたと考えられています。
現在村人たちは、オールドバガンに匹敵するほどの遺跡が連なるこの村の住人として、パゴダの掃除や管理などを行っています。登楼が禁止されている寺院などもミンナントゥの住人だけは清掃のために登ることが許されているのです。
バガン時代男性はみな仏教建築の大工だったわけですが、現在でも村の男たちの大半が大工です(現在では主にゲストハウスなどの建築工事などが多いそうです)。他の男性は農業に従事しています。
ですので日中はほとんど女性や子供の姿しか見ることができません。
電気も水道もないこの小さな村ですが、多くの壁画が残るパヤトンズ遺跡群の出口にあたるために観光客がよく立ち寄り、素朴な村として人気があります。
村の中は牛や羊が闊歩するごく普通の農村ですが、それがまた広大な遺跡とのミスマッチさを演出していてタイムスリップした気分にさせてくれるのでしょう。
私はバガンを“Provincial Resort”と表現することがありますが、都会とはまた違うのどかな風景として、この村の存在もバガン観光に彩りをそえています。
またミンナントゥ村の北側一帯には観光ではまず訪れない大規模な遺跡が残っていますが、一般には知られていないこの辺りも村人のテリトリーです。ミャンマーでは日曜になると家族でお寺にお参りに行きますが、ヤンゴン市民がシュエダゴンパゴダやボタタウンパゴダなど主要寺院に集中してお参りするのとは異なり、ミンナントゥ周辺ではめいめい思い思いの寺院やパゴダに行くようです。
ある地元の人に聞くと、まず1つの寺院にお参りしてから、その後はひらめきや好みで毎週違うパゴダに参拝するんだそうです。
毎週巡礼しているなんて、なんだかぜいたくに思えてきます。
周囲をパゴダとピーナツ畑に囲まれた昔ながらの村は、テレビやラジオがなくても幸せ度数はかなり高いのだと思います。